花と幸福の画家ミッシェル・アンリ

 

 小野田セメントという地方に本社があるセメント会社のフランス画家カレンダーの製作を私の会社が請け負っていたが、1993年小野田セメントの担当者と一緒に翌年のカレンダーに使う画家探しにフランスにでかけた。この企画はバブル経済の真最中の1989年に始まったので、予算もたっぷりあった。かなりの画家に会った中で、ミッシェル・アンリにも会った。パリの国立芸大(ボザール)出身のフランス画壇の巨匠で、レジオン・ドヌール勲章を受章し、フランス国立園芸協会絵画部門の会長とサローヌ・ドートンヌの副会長を務めるフランス画壇の巨匠だ。ベルナール・ビュッフェと同じクラスで、ビュッフェに絵画的影響を与えたと言われていて、フランスとアメリカで有名な画家だ。日本では、マルク・エステルというフランス人の画商が大丸などで若干扱っていた。リトグラフやセリグラフの結構製作していて、日本にも入っていた。

 

 私はフランス人の女画商に案内してもらって、極度に緊張しながら、ミッシェル・アンリのアトリエのドアを叩いた。大柄でどっしりとした初老の紳士が迎えてくれた。礼儀正しくて、にこやかなので少し気が楽になった。部屋には、シラク大統領やその奥さんと撮った写真や、スエ―デンの王女や元首相やご婦人がこのアトリエに来られて時の写真、往年の大女優ジャンヌ・モローが所蔵のミッシェル・アンリの絵画の前で撮った写真まで飾ってあった。日本から来た、地方に本社があるセメント会社のカレンダーの話など、相手にしてくれるだろうかと不安になった。フランス人の女画商が話してくれている間に徐々に緊張がほぐれた。彼女はカレンダーの事よりも私の事を話していた。南仏の大学で勉強して、修士課程はパリでやった事や画商の仕事に情熱をもっていて、大のフランスファンで、ミッシェル・アンリの絵画も大好きだと私を売り込んでいる。聞いている内にミッシェル・アンリは時々私の方に笑顔を投げ掛けるようになった。彼女は私に仕事の話をするように、水を向けて来た。私もフランス人気質を知っているので、あまり仕事の件には踏み込まずに学生時代の想い出やフランスとの関わり合いの話しをした。ミッシェル・アンリの絵画も随分褒めた。ミッシェル・アンリは嬉しそうな顔で私を見て、「フランス絵画を日本で広めてくれて嬉しい。フランスの画家を代表してお礼を言います。」と言った。そろそろ、訪問時間が終わる頃、カレンダーの話をして検討しもらう事にした。

 

 予定していた全ての画家に会った後で、小野田セメントの担当者はやはり、ミッシェル・アンリが良いと言った。予算は十分あった。日本に戻ってから、私は女画商に連絡して話を進めてくれるように頼んだ。10日程して彼女から連絡が有り、OKの返事とミッシェル・アンリのコメントを伝えてくれた。「武田さんはフランス語は南仏なまりで聞きづらいが、あのフランス絵画や文化への意気込みはすごい。画商に必要なのは、画家の仕事に惚れ込む力だ。あの人はその力を持っている。」と言ったそうだ。

 

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