ダニエル・クチュールの祖父は海軍のエンジニアとして、函館港の建築工事に携わった。ダニエル・クチュールは幼少の頃、祖父からいつも日本の話を聞き、富士山や函館の写真を見せられた。何時の日にか、日本に行きたいとの思いはずっと持ち続けていたが、2004年に74歳で初めて、来日を果たした。札幌三越のダニエル・クチュール来日絵画展に出席のためだ。話を聞いた函館市の要請を受けて、函館市を表敬訪問した後に札幌入りした。札幌では、在札幌名誉領事(札幌文化放送社長)の木梨芳一氏が大歓迎してくれた。

札幌三越での展示会の成功を受けて、2005年に日本橋三越と広島三越がダニエル・クチュールの来日展を企画したが、クチュール夫人の病の為、来日がはたせず、熱心なファンがため息をついた。

2006年8月には、ヴァカンス中のご子息のジャン・クチュール氏にご夫人を預けて再来日し、神戸大丸で来日展を開催し成功を収めた。

 ダニエル・クチュールを見ていると私は時々涙がこぼれそうになりる。往年のフランス映画を見ているような、優しい気持ちになるのだ。クチュールは20歳の時に当時17歳だった、クチュール夫人と知り合い24歳で結婚。2人でデザイナーとして働き始めた。新進の貧しいデザイナー時代に、一人息子のジャンをもうけ、2人で働きながら、愛情を注いで育てた。何処にもあるような、家庭だが、クチュールは多忙の中、子供を美術館に連れて行き、映画を見せ、一緒に散歩し、裕福では無くとも、夫婦で出来るだけの時間を子供に割いて育てた。自営のデザイナーとして多忙を極める中で、毎日絵画を何時間も描いた。好きなデザインの仕事に打ち込み、愛する夫人と愛児を育て、大好きな絵画を描き続けた。息子が大学を卒業した45歳の時、それなりに成功していたデザインの仕事を捨てて、画家になった。

クチュールは音楽も文学も大好きで、ストラビンスキーの<四季>の事など、控えめに熱心に語る。日本文学にも通じていて、永井荷風や三島由紀夫の話しをしてくれる。第一級の教養人だ。地位を求める事も無く、名誉を求める事も無く、大好な絵画を描き、夫人と家族を愛し続ける人生。フランスでも画壇にあまり近づかない。この純粋な魂には画壇のつまらない人間関係が煩わしいのだろう。また、時間が勿体無いのかもしれない。フランスの画壇も日本と同じように、絵なんか下手糞なくせに、政治力だけあるような人もいる。当然、跳び抜けて凄い画家で有りながら、面倒見が良いため慕われて、画壇で活躍している人もいる。例えば、ミッシェル・アンリのように。

 私は他の画家が来た時は、アテンドに通訳を雇ってやらすのだが、クチュールにはだいたい私自身が付いて歩く。一緒にいて楽しいのだ。控えめで、陽気でだし、結構ユーモアもあって、すこしぐらい変な事を言っても怒らない。もともとパリの生まれだが、そのわりには、神経質ではない。パリジャンは結構神経質で、一寸した事が癇に障って怒り出す。

 札幌での、展示会の事を思い出す。グラマーな美人が展示会に来ていた。彼女はクチュールの絵画を鑑賞してるし、私達は彼女を鑑賞していた。私がクチュールに、彼女なかなか美人ですねというと、嬉しそうに目配せしながらうなずく。なおも、私が、胸が半分露出していて特に良いですね、と言うと。いい、いいと感動している。彼女もクチュールの絵画に感動している真最中。私はクチュールにいい年をしてまだ、そっち方面に興味があるんですかと言うと、まだ男を辞めたわけではありませんといった具合だ。でも、多分、クチュールは、奥さん以外は童貞であろう。其れぐらい、奥さんを愛している。50年連れ添って、共に働き、全てを分け合った、分身のようだ。私はクチュールにいつも言う。<貴方は本当の意味での人生の成功者です。宝物のような素晴らしい家族に恵まれ、絵画の才能に恵まれ、好きな事一生やり続けて、しかも健康で入れ歯もしていない。貴方はそれなりに、優雅ですし、社交性もあるくせに、自分の画家としての地位を上げる為の画壇の中での外交をしなかった、そのために何の賞ももらっていません。でも、安心してください。貴方はこんな素晴らしい絵画を描きます。画家としては、それで十分です。日本では、私が貴方に欠けているマネージメントをやりましょう。貴方の絵画は、日本人の感性にも合っていますから、多くの人を魅了する事でしょう。>と。私達は意気投合している。

神戸に行くのに、東京駅に向かう途中の事。私は油断していて、出掛けにもたつき、新幹線に乗り遅れそうになった。地下鉄丸の内線の東京駅から、東海道新幹線のホームまで私は全力で走った。2年前に函館で100メートル程一緒に走ったので、安心して76歳のクチュールも一緒に走らせた。エスカレーターも走って昇り、ベルが鳴っているホームに着き、最初のドアに飛び込んだ。続いてクチュールが駆け込んだとたんにドアが閉まった。さすがに、クチュールはハアハア息が上がっていたが、76歳が何とかついてきた。私は、<私はこういう事はしょっちゅうです。貴方が元気で、あまり不平を言わない人なので、何時も助かりますという。>とクチュールに言うと<まあ、しょっちゅうはこまる。私も、やはり年だから>と。

 クチュールは本当にジャポニスムなフランス人だ。つまり、日本趣味の人。私の家の近くに焼鳥屋があって、そんなに高級のところではないのだが、女将が和服で対応する店で、座敷もついている。座敷に上がって、2人で焼き鳥をかじりながら、日本酒をチビ・チビやる時のクチュールの嬉そうな顔を見ていると、私まで幸福感につつまれる。1合も飲めば十分。3日に1回ぐらいは2人で日本酒を酌み交わす。ある時、私も忙しくて、2日間ぐらいクチュールを一人にしておいた。後日、上述の焼鳥屋に私が行くと、女将が、<あの画家の先生、また一人で来てくれましたよ。>。クチュールと2人で日本酒を酌み交わす時間は、私につっても無上の楽しみの時だ。展示会がうまくいって売れた時も、売れなくて打ちひしがれている時も。来年あたり、またクチュールと日本酒を酌み交わしたいと思う。

            

 

 

 

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