文化の多様性、独自性と普遍性及び価格について
- 2010/10/14 (木) 1:46
- 画商のつぶやき
日本料理とフランス料理、中華料理またアメリカのマクドナルドハンバーガーなどを私たちは日常的に食している。それぞれに特徴があり、いろいろな料理が楽しめるのはうれしい事だ。それぞれの国、文化が長いまたは、短い歴史の中で生み出し、質を高めて現代に伝えてくれた。先達に感謝したいと思う。
さて、絵画もその国、文化で独自性がある。日本画、日本の洋画、フランス絵画、ヨーロッパ絵画、アメリカ絵画、南米、中国、韓国、またはアラビアの国などそれぞれの国に画家がいて絵画を描いている。また、それぞれの国に画壇があり、絵画マーケットもある。日本の絵画マーケットと南米の絵画マーケットの間には取引もないし、殆ど交流が無い。たぶん、未来にだれか南米の作家を日本に紹介する人があれば、マーケットができるかもしれない。
それぞれの国でたぶん、外国とは関係なくマーケットが形成されていることだろう。そういった中で、国境を超える画家もいる。たとえば、レオナルド・ダヴィンチ、ミケランジェロ、ルーベンスなどのルネッサンスの作家や19世紀から20世紀前半のフランス画家などだ。それらの物故作家を頂点として、世界ランキングの作家もいる。先日、イヴ・サンローランが亡くなって収集した絵画をオークションにかけたら2兆円以上の金額になったそうだ。つまり、国境を越えた普遍的なマーケットも存在し、そのマーケットに認知されている画家や美術品もある。
日本の画家で国境を超えるのは、江戸時代までの画家だけだ。それ以降では、レオナール・フジタのみだ。フランスの場合は少し事情が違う。やはり絵画先進国なので、世界中にマーケットを持っている。たとえば、フランスでは成功しなかったけれど、日本では成功した画家の典型はシャロワ、デペルトなどだ。フランス人は誰も知らない。逆に日本での成功のため名前が知れた画家の典型はカシニョールだ。それまで、だれも見向きもしなかったのに、日本で売れだして、フランスでも名前が知れるようになった。だだ、フランス人でカシニョールを買う人はいない。その他の日本アイテムも同じように、日本マーケットに引きずられて、値段が上がりすぎているので、フランス人は買わない。ビュッフェ、ミッシェル・アンリ、ガントナー、ドートルローなどはフランスでもマーケットがある。
日本には、日本のマーケットがある。現存の日本画の画家も洋画家も、有名な画家から無名な画家まで、フランスでは誰も知らない。フランス人に平山や絹谷の絵画を見せても、あまり面白がらない。確かに日本の画家がヴェネチアビエナーレで賞をもらったりする。フランス画家は誰も、ベネチアビエナーレなどに出展しない。日本ではベネチアビエナーレが大層有名になっていて、フランス人は驚く。結局文化性の違いで、日本人は権威が大好きで、無条件で権威を受け入れ、金まで払う。絵画を高く売るために何処に権威を持たせるか、相談して決めるのだろうか。多分、だれか、力の或る奴が自分の都合のいいように決めて、あとは、皆その権威に従う。そのうちそれが定着して、経済効果まだ生んで行く。イワシの群れだ。イタリア人は大喜びだろう。
フランス人は金にうるさい。賄賂などが発覚すると、大きなスキャンダルになる。政治家などには致命傷だ。私が大学生の頃、教授が、試験前の授業中に<以前アフリカ系の学生が私の所に現金を持ってきたが、フランスではこの手は通用しない。しっかり勉強なさい。>と冗談交じりにいっていた。逆に女性問題には寛大だ。男は、金持ちから貧乏人まで皆、身に覚えがあるから、他人の情事にも口出ししない。以前に大統領だったミッテランが愛人に産ませた子(既に成人女性)と食事をしてるのを、エクスプレスという辛口の週刊誌が写真入りでスッパ抜いた。それで、顰蹙をかったのは、エクスプレス誌だ。ほとんどのマスコミがエクスプレスを叩いた。個人のプライバシーを記事にするのはけしからんと。アメリカは正反対だ。金銭のスキャンダルには寛大だ。皆金儲けに夢中になっているので、少々薄暗い事をしても金をつかんだ 奴は尊敬される。逆に女性問題は徹底的に叩かれる。クリントンが大統領執務室でホワイトハウスの研修生と事に及んで、それが、表沙汰になり、大変な目にあったのは、記憶に新しい。あんまり、叩かれるのでクリントンは腹いせにイラクに爆弾を叩きこんだ程だ。アメリカの政治家にとって女性問題は命取りになる。イタリア人はどちらにも寛大だ。女と賄賂ぐらい当たり前だと思っている。楽しければだいたいの事はOK。硬いことは言わない。日本は状況しだいで厳しくなったり、寛大になったりする。
日本では、状況によって考え方や意見、生活態度を変えない奴は変人か馬鹿だ。面白いには状況が変わるとその変人や馬鹿も時の人になったり、立派な人になったりする。状況しだいだ。フランス人始めヨーロッパやアメリカなど、つまり絵画先進国の人たちの誰も、関心を示さない画家の絵画が日本で高値で売買されても、それは、日本マーケットだから構わない。私など、絹谷も平山もまったく美しいとは思わないが、その絵画に何千万円払う奴がいても、それは、それで構わない。買う人が納得しているのだから合法的だ。日本人は絵画に高い値段を付けて、納得させる為に権威が必要なのだ。その為にイタリア人のご宣託を頂く。イタリア人のご神託にみんな喜んで数千万円の金を払っている。私はケチで、ブランドなど絶対に買わないし、弊社のお客様にもつまらないお金を使わせたくない。もっといい画家が沢山いるだろう。彼ら程有名になっていないからもっと安く買えるだろう。お金が余って捨てたいのなら、困っている老人や小さい子供を抱えて貧乏している人、障害で苦しんでいる人に恵んでやればいい。アフリカでも、アジアでも貧困で毎日多くの人が餓えで苦しんでいる。
私は日本人が日本画を愛したり、有田焼や備前焼などを愛するのは当然だと思う。それは、私たちの歴史と生活に根ざした感性、文化的な志向だからだ。私たちが、日本人が生み出した立派な伝統的な文化や芸術作品を愛するのは当然だし、そういった日本人の感性を軸にマーケットが形成されるのも当然だと思う。
日本人は芸術に対して、繊細な感性と尊敬の心を持っている。平安時代の昔から、素晴らしい文学、絵画、音楽、芸能を作ってきた。また、花鳥風月の自然を愛で、繊細な感性を磨いてきた。日本人程国民的レベルで芸術や文化を愛する国民は珍しいかも知れない。だから、日本人は、イタリア人にいい絵画を教えてもらわなくても、目が慣れてくれば、センスの良い画家、出来の良い作品を選ぶだけの感性と教養は国民的レベルで持ち合わせていると思う。ヨーロッパの良い画家の絵画を沢山見せればいい。私は日本人の芸術や文化に対する感性を信頼している。権威で芸術の価値と価格を決める時代はそろそろ終わりにしてほしい。権威の或る奴にいわれて、何百万、何千万円の金を払って、つまらない絵画を壁に掛けてうれしいとは思わない。
もちろん、それがお付き合いでその10倍も仕事で恩恵があるのなら別だ。ブラントも馬鹿げている。日本人がパリでルイ・ビュトンの店に列を作って買うらしい。一人あたりの買える点数を店が決めて、もっと欲しい奴はまた明日おいでだそうだ。私はルイ・ビュトンの10分~20分の1の値段でとても便利なバッグを買う。同じ値段でもルイ・ビュトンを買いたいとは思わない。押しつけがましいブランドより、自分の用途と好みに合わせて選びたい。だいたい、ブランドを維持してくためには、漠大な広告宣伝費と人件費がかかっている。そんな所で列を作る時間があるのなら、ホテルで昼寝していた方がましだ。従業員にまで、威張られてブランドを買うより、私が泊まる安ホテルの近くのブテックで与太話でもしながら買う方が楽しい。
日本人は世界中が驚く程、勤勉に働き、また働かせて、もったいない精神で節約して貯めた大切なお金だ。もっと大事に使って欲しいと思う。私は、日本人で有ることにとても喜びを感じ、同じ日本人が大好きだ。だからこそ思う。額に汗して、真面目に働き、また従業員に懸命に働かせて得た大事なお金だ。軍備も持たない、エネルギー資源もない、金融の世界的なネットワークも持たない国が、どうして世界の経済大国なのかよく考えて欲しい。決して、政治家や官僚が立派な訳でも、財界のエリートが優秀な訳でもない、私達庶民が常に創意と工夫をしながら、正直にまじめに勤勉に働くからだ。人の良い日本人の消費者を馬鹿にするのは、そろそろ終わりにしてほしい。私たちも、もっと大切にお金を使う工夫も必要だろう。
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