森の仙人
- 2010/10/14 (木) 1:41
- 画商のつぶやき
- ジェラール・ジェベール
初めて、ジェベールと会ったのは、2003年の9月だった。パリからエアーフランスの国内便にのり1時間弱でスイスとの国境の町ミュールーズに着いた。この空港は2つの名前がある。フランスではミュールーズ空港で、スイスではバーゼル空港と言う。空港がフランスとスイスにまたがっていて、出口もフランス側とスイス側と2つある。フランスに行く人はフランス側、スイスに行く人はスイス側にでる。それぞれ、入国審査官がいる。
出口の所にメガネを掛けた、背の小さい小太りのオヤジとやはり小柄な初老の女性がいた。私の顔を見るなと近寄ってきて、「ムッシューダケダ?」嬉しそうに笑いながら手を差し出した。ジェラール・ジェベールだ。画家というより、そのへんの農家のおやじだ。今から家に行って一緒に夕食を食べようと誘われたが、私はここ数日夕食会が続き、へとへとだったので、断って、ミネラルウオーターを買い、すぐホテルに連れていってもらった。
翌朝目が覚めて、窓から外を見ると、ホテルは原野の中にぽつんと立っていて、麦畑が広がっている。私は田舎の空気を一晩たっぷり呼吸して、元気を取り戻した。私が寝ぼけた顔でロビーに座っていると、ジェベールがやってきた。年代もののルノーの助手席に乗せられて、田園風景の中をアトリエに連れて行かれた。国道から脇道に入り、暫くすると道が細くなり、山の中に入りこんだ。車がぼろい上に、道が悪いので、エンジンの音と車があちこちにぶつかる音がうるさい。ジェベールが「ここからが、私の地所です。」という。どうも1山持っているらしい。どれくらいするのだろう。
日本でも地方に行くと1山数百万円で買えるらしい。石ころだらけの道をさらに、10分程行った所に500坪ぐらい、平地にしている所があり、家が1件とサイロが立っている。そこに、車を止めて、エンジンをきった。とたんに静寂が広がる。ジェベールが「ここが私に家です。中へどうぞ」というが、静寂と淡い光に満ちた自然の中に立ちつくし、動く気になれない。少し慣れてくると、小川のせせらぎが聞こえてくる。家のすぐそばを小川が流れてる。すこし、傾斜があるので、水の音が響いてくる。さらに、耳を澄ますと、鳥の鳴き声が聞こえる。木々の隙間から光の帯が降っている。森の中に家畜のヤギやカモがいるのが、見える。体の中から、悪い物が空中に溶け出していく。何十年もの間蓄積していた、物質文明の毒と商業主義の欲望でいっぱいの体が清澄な空気に少しずつ馴染み、太古の生活を思いそうとしているようだ。数十年来の心の疲れが癒されていく。今まで、自分は何をしていたのだろうと思う。まるで、記憶喪失になった人のような不思議な感覚にとらわれる。
ジェベールも奥さんのエレーヌも善人で自然人だ。庭のテーブルに座り、放心状態から少しずつ回復していく。ジェベールは若い時にアルジェリア戦争に行った話とか、画家になる前は役人でワインの検査官だった話などしてくれた。奥さんは控え目に、頷いている。アルザスの自然と家族とここでの生活を愛している。アヒルのワイン蒸しを作るから、一緒に食べろという。アルザスは白ワインの名産地だが、肉なので、ブルゴーニュの赤ワインを抜いて、アヒルを食べた。
ジェベールは自分の好きなアルザスの自然の絵画を日本人も好きになるだろうかと心配している。ジェベールの絵画は、ここの空気が私の体を浄化し、心の疲れを癒し、私に元気を与えたように、日本人の心を癒すに違いない。次第にワインが体と心に染み込んできて、さらに元気がでてくる。アトリエの絵画1枚1枚が、この森の一部に見えてくる。確かにジェベールの絵画は森の空気を呼吸している。空港で農家のオヤジに見えた、ジェベールが超自然の何者かに思えてくる。そうだ、ジェベールはこの森の仙人に違いない。物質文明と商業主義と競争に疲れた日本人を憐れんで、その心を癒すために、この森の精霊が森の仙人ジェベールの所に私を連れてきたに違いない。私はこの森の空気、光の帯、小鳥の囀り、小川のせせらぎをジェベールの絵画と一緒に日本に届けなければならない。ジェベールの森の空気が日本人の心を癒し、リフレッシュさせてくれるだろう。日本人に数百年前の事を思い出さすだろう。金がなくても、出世しなくても、豊に幸福に暮らせる事を思い出すだろう。ジェベールの絵画の中から森の精霊達が語りかけるだろう。
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