ギャラリーアデカは、現在フランスの現存画家10人とドイツの作家2人と独占契約しています。それらの作家の日本での作品の販売、著作権の管理、版画や複製画の製作など必要な全てを引き受けています。販売先は北海道から沖縄までの百貨店が中心です。直接弊社が百貨店の画廊で展示会を開催する場合もありますし、弊社の取引先の作品をお預けしてその会社が展示会をされる場合もあります。地方の画廊に作品をお貸しして、その画廊が展示会を開催する場合もあります。
地道に展示会を積み上げていって、契約作家の知名度を上げ、作家の作品を多くの方々に知っていただくと同時に販売もしていきます。まあヨーロッパの画家と2人3脚で仕事をしています。美術品のマーケットは特殊です。まず、扱う商品が多彩ですし価格の裏付けが不透明です。つまり作家が1000人いれば、1000人の価格帯があります。そして、なぜそれぞれの画家の作品がその値段なのか、客観的な説明が難しいところがあります。
また、その画家がフランスでは有名でも日本では無名だったり、その逆に日本では有名でもフランスでは誰も知らなかったりします。つまり、かなりローカル色も強い場合が多いのも特徴です。まあ、文化は民族とか地域でそれぞれ特色があり違いがありますから。絵画も文化的な物ですから、当然といえば当然ですが。文化も個別的でありながら普遍性があるのも特徴ですね。ものすごく有名な画家例えば、ピカソ、ルノワール、ゴッホ、ダヴィンチなどは歴史も国境も越えて普遍的な光を放っていますが、現存画家場合はかなり、不明確なもしくは不確定要素が多いと思います。
多くの人の心を打つ画家の作品が良いとの考え方があります。つまり民主主義です。絵画の価値も多数決で決めようとの考え方です。専門家が見て、鑑賞に値する絵画がいい絵画との考え方もあります。そうなると、美術評論家や画商が価値を決める事になります。どちらが正解なのでしょうか。この問題に一般的な答えを出す作業は困難を極めます。そういった不透明な要素が多くて、普遍的な基準が設定しづらいのが絵画マーケットです。ここでも、一般的なお話が難しいとも居ますので、私の立場をお話しましょう。
私はフランスとの付き合いはもう30数年になります。絵画の仕事も20数年しています。ある意味では、フランス絵画の専門家の一人かも知れません。私はから見て良いと思われるフランス作家を、民主主義的らルールを尊重しながら、日本の絵画マーケットに導入するのが私の仕事です。ある意味で啓蒙的な仕事とも言えるかもしれません。また、別の言い方をすれば、思い込みと独善のなのかも知れません。そのどちらかの判断は、実際に弊社の契約作家の作品を見て値段を見て、他の美術品と比較検討して、お客様のお一人お一人が結論を出される事と思います。つまり、学者が導き出す結論と商人が出す答えはおのずからちがいが有ります。
良い作家に出会い、意気投合して仕事を始めるのはとても素晴らしい事です。でも、また、中々難しい作業でもあります。なぜ難しいかと言うと、時間が掛かります。私は30数年前初めて、片道切符でフランスに行っていらい、ずっとフランスにどっぷり浸かっていますから、沢山の友人がいます。また、美術業界にも多くの知り合いがいます。
その、人間関係の中から自然に作家と知り合います。フランスは良くも悪くも、人間関係で動きます。アメリカはビジネスが先行しますが、フランスは反対にまず人間関係ありきです。フランス人と仕事する場合はまず、友達になる事です。できれば、その友達や家族も含めて。ビジネスはその後です。特に、芸術や文化の分野はその傾向が際立っています。例えば、ミッシェル・アンリとはもう15年以上一緒に仕事をしています。確か1991~2年頃、小野田セメントの広報担当とフランスに行った時、知り合いが、ミッシェル・アンリのところに連れて行ってくれました。
その頃、小野田セメントがフランスの画家でカレンダーを製作していて、弊社が作家の窓口になっていました。ミッシェル・アンリは日本では、ビュッフェやカシニョール、ブラジリエほど知られていませんでしたが、フランスではサロン・ドートンヌの副会長も勤め、若い時からパリの高級画廊街マチニョンの画家で、フランス画壇きって巨匠でしたから私には雲の上の人でした。当時はまだバブルの余波で企業もお金を持っていましたから、結構高い金額を提示して、ミッシェル・アンリのカレンダーを作りました。確か 1995年に小野田セメントが秩父セメントと合併して、1996年には、絵画カレンダーを打ち切りました。94年と95年の2年間ミッシェル・アンリでカレンダーを作りました。
93年にミッシェル・アンリがサローヌ・ドートンヌの仕事で日本に来ました。私の知り合いもなぜか一緒についてきました。その頃、マルク・エステルというフランス人の画商が、関西に住み着いて、大丸でかなりミッシェル・アンリをはじめとしてフランス画家の絵画を売っていました。マルク・エステルは自分描いて売ればもっと儲かると思ったかどうか、画家謙画商になっていたので、パリでかなり顰蹙を買っていたようです。
私の友人がミッシェル・アンリに頼んでくれて、取りあえず取引が始まりました。私は次の年に東急日本橋店でミッシェル・アンリ展を開催しました。ミッシェル・アンリも私の友人もそれに合わせて来日してくれました。そんなに、大しては売れませんでしたが、私の仕事ぶりが真面目で、値段もかなり抑え目につけていたので、信頼してくれました。翌年に、日仏作家100人展でフランス代表として再び来日してました。
ちなみに、その時の日本の側の来賓は森 善朗 元首相でした。その頃は通産大臣を辞めたばかりで大した役職をしていなかったと思います。その間に私もパリに行ったりしましたが、その頃にはすっかり信頼してくれて、マルク・エステルとの契約を打ち切って独占契約にしてくれました。ですから、初めてカレンダーの件で会ってから、4年後に漸く独占契約にたどり着きました。その後、弊社でリトグラフとセリグラフの製作して、セリグラフは世界中で弊社の独占になりました。
私が始めて展示会をしたのは、フランス大使館の会議室でしたし、その後10年程は池袋のサンシャインの中のフランス商工会議所の展示場を拠点にしていました。いずれも、友達がそこに勤めていたのです。 1980年代の後半は、フランスの版画空前のブームになりましたので、フランスに行っては版画を仕入れて売っていました。
1990年代の中ごろから、フランス版画ブームが下火になってきましたのとミッシェル・アンリとの仕事が始まりましたので、すこしずつ油彩に方向転換を始めました。同時に色んなフランス作家と会う機会も増えました。百貨店、パルコなどと平行して、プリンスホテルでも展示会もしていましたから、1995年に軽井沢プリンスホテルがショッピングプラザを作った時にテナントとして入りました。それが、ギャラリーヴァンドフランスです。プリンスショッピングプラザもその時は確か30店舗弱ではじめましたが、今は200店舗近くなっていると思います。大きなモールになりました。
1995年に軽井沢プリンスショッピングプラザがオープンして弊社もギャラリーヴァンドフランスを出展した事は先週申し上げました。当初はまだ、弊社も契約作家はミッシェル・アンリのみで、作家との仕事は始めたばかりですし、売れ筋の版画を何でも輸入して売っていました。シャガール、ミロ、ミュッシャ、ビュッフェ、カシニョール、ブラジリエ、カトラン、アイズピリ、その他全部で30作家ぐらいの版画を何となく売っていました。当時の特徴としては、モンペリエ大学の後輩のおじさんがペイネの版元でしたが、軽井沢に出展する少し前に亡くなられてご家族がペイネの版画を処分されましたので、ペイネ版画を大量に買いました。其れこそ、銀行で借金して数千枚買いました。
後で、軽井沢にペイネ美術館があるのを知りました。ヴァンドフランスは何処よりもペイネのオリジナル版画がそろっているギャラリーです。これは、今も変わりません。もちろん、絵柄によっては、品切れも出てきていますが。現在は弊社の契約作家の油彩画が中心になっています。ミッシェル・アンリ、ダニエル・クチュール ジョルデイ・ボナス ウット・エルマン ジェラール・ジェベール ミッシェル・マルグレイ マヌエル・リュバロ フランソワ・ラセールなどです。
今、私が名前を挙げた作家の打ち、シャガール、ミロ、ミュッシャはもう歴史の中に入った作家ですし世界中で認知されていますが、他の作家はそうでもありません。先週私は、絵画マーケットの特殊性について少し触れましたが、ここでまたその問題に少し触れましょう。日本の絵画マーケットで有名な画家か必ずしも、フランスで有名とは限りません。また、フランス画壇で評価の高い作家が必ずしも、日本で同じ評価を受けているとはいえません。
これは、文化でも、政治でも宗教でも同じ事がいえるともおもいます。経済とか科学の分野はもう少しグローバル化が進んでいるようです。例えば、パレスチナ人にとっては、祖国の為死んだ英雄がイスラエルでは自爆テロリストです。勝てば官軍みたいな事は文化の世界、絵画のマーケットでも起こっています。カシニョール ビュッフ ブラジリエ カトランなどはここ20-30年日本のマーケットをせんけんしましたが、美術館に入っている画家はビュッフェのみです。それにたいして弊社のミッシェル・アンリはパリ市の近代美術館にも入っていますし、現在ラングルに美術館を準備中です。
レジヨン・ドヌール勲章をもらっているのは、ミッシェル・アンリとブラジリエのみです。そういう意味では、日本で名前の通った作家の版画を買うか、同じぐらいの金額で原画を買うかといった選択枝を用意して、お客様の判断を仰いでいます。ミッシェル・アンリの油彩画だって、弊社の定価で10号150万円でしょう。他の弊社の作家などは10号で50万円ですよ。そのうえ、ギャラリーヴァンドフランスは直売ですから、その定価から何割かひいて販売しています。日本で有名に成った方々の版画を高額で買う事には私は?をつけています。
油彩やグアッシュなど原画を見慣れるとどうしても、版画が物足りなくなります。日本画には無い概念で油彩では、重要な要素にマチエールがあります。日本語では絵の具の質感と言います。絵の具が厚く付いている感じの事で、まあ人間で言えば肌が綺麗か荒れているかですかだけではなくて、デブっているか、筋肉が綺麗に付いているかとか。下手な画家はマチエールがなってなくて、絵の具がキャンバスに付いていないとよく言われますが。確かに絵の具が落ちそうに見えるのです。これは、色のバランスとか、タッチとか、色んな要素が絡んで、居ますので、ただ単に物理的によく色が付いているという問題ではありません。日本画は薄く塗りますので、このマチエールの味わいが無いのです。
ですから、色彩と描かれている対象の美しさと雰囲気が問題になりますが、油彩画はもう少し立体的に楽しむわけです。カシニョール、ブラジリエなどの平面的な作品は日本画になれた、私達には違和感が無いのですが、ヨーロッパの人たちから見ると、何か物足りないというか、絵画として大切な要素が1つ欠落しているように見えるようです。現在弊社で扱っている、大家ミッシェル・アンリ、クチュール、エルマン、リュバロ、エルマン ラセールなど見事なマチエールをつけます。抽象画などは、具象画よりもマチエールの大切さは格段に高くなってきます。ジェベールやマルグレイなどは、バルビゾン派や印象派に属する風景画家ですので、マチエールは薄くて雰囲気を楽しませる画家です。つまり、絵画的要素より描かれている風景の雰囲気を伝える事に重点が置かれています。
弊社の契約作家で2人のエピソードご紹介しましょう。ミッシェル・アンリとクチュールです。ミッシェル・アンリはご存知のように、フランスを代表する画家で、シラク元大統領とかジャンヌモロー、レモン・バール元首相などがコレクターで美術館にも入っています。社交性もあって、サロンドートンヌの代表として世界中を飛び回っていました。2000年頃のフランス大使のグルドーモンターニュさんなども友人で、大使が2001年には公邸でミッシェル・アンリ歓迎パーティーを開催してくれたり、シラクさんの奥さんがお城で回顧展を開催したりと華々しいです。また2003年には、フランスのミディピレネー州が回顧展をしました。私もそのときはました。フランスの国営テレビが入っていました。
反対にクチュールは絵はいいのですが、外交能力が0なのです。だだ絵画を画く。あとは、家族と過ごす。良い絵画を描くのに、あまり有名ではないのです。でも、日本では私が彼のマネージャーになりましたから、少しづつ知られてきました。こんないい画家をそのままにして置けません。
フランス絵画の黄金時代はなんといっても、19世紀から20世紀はじめでしょう。それ以前はスペインやフランドル、そのまえは当然イタリアのルネッサンスにさかのぼるわけです。19世紀のはじめスペインの巨匠ゴヤが、フランスには絵画が存在しないとまでいったようです。19世紀初頭の新古典主義のダヴィドから始まり、ロマン主義のドラクロワ その後写実主義のクールベなどの時代を経て、印象派の時代に移って生きます。
印象派はモネやピサロなどの風景中心の外光派から、ドガ、ゴッホ、ルノワール、ゴーギャンなどのもう少し内的なモチーフも取り込んだ後期印象派の時代、そしていよいよセザンヌが出てきて、20世紀の幕開けを用意します。絵画をセザンヌは色彩、形、構成、マチエールといった絵画的要素の総体として造りました。つまり、殆ど抽象画のように、彫刻のように描きました。そこから、抽象画家やピカソ・ブラックなどのキュビスムに道を開きました。
20世紀前半は、エコール・ド・パリとなずけられますが、外国から多くの才能がパリに集まりました。前述のピカソ以外にシャガール、フジタ、パスキン、モジリアニ、スーチン、ブラマンクなどが独自芸術をパリで花開かせました。フランス画家はさすがに洗練されていて、ブラック、マチス、ヂユフィーなどが、非常に洗練された作品を画きました。もちろん、ユトリロやローランサンなども日本でもなじみの深い作家です。大体、このあたりまでの事は近代フランス絵画の本を読むとたいてい書いています。さて、20世紀後半から21世紀はどうでしょうか。
さて、第2時大戦後のフランスでは輝かしい1世紀は終わり、19世紀と20世紀前半の伝統の上にそれぞれの才能のある画家がその才能を花開かせています。例えば、ビュッフェ、ミッシェル・アンリ ブラジリエ、マントール 今度弊社が契約したボナスなどです。20世紀後半は商業主義の時代になり、価値観も商業主義的になりました。才能のある人たちが商業デザインや工業デザイン、映画、テレビ、ファッションなどのもっと刺激の強い世界にドンドン吸い取られていきます。
画家という孤独で貧乏なイメージの職業を運命的に選には、世の中がスピードアップしすぎ、物質化しすぎています。だからといって、絵画の中心がパリからニューヨークに移ったという意見は、肯定できません。やはり、フランス人の画家たちはあきもせず、現在有る者を破壊して新しいものを造る作業は続けています。20世紀後半のフランスでは、ファッション、コスメテックなどのブランドや第7芸術といわれる映画、演劇、舞踏など方が、いわゆる純粋芸術の音楽や絵画より華々しい成果をあげました。
20世紀の後半から21世紀のフランス絵画を私の身近なところから見てみましょう。1950年代にパリのマチニョン街にロマネ画廊がありました。マチニョンは言うまでも無くパリ一番つまりヨーロッパ屈指の画廊街です。ロマネ画廊は当時一流の画家、イヴ・ブレイヤーやボーザールで教えていたモーリス・ブリアンション(ブラジリエ カトランの先生)、やはりボーザールで教えていたシャプラン・ミディ(ビュッフェとミッシェル・アンリとカシニョールの先生)など当時の一流画家が競って展示していた画廊です。当時は文学の世界では、サルトル・ボーボワーール・カミュなどいわゆる実存主義に作家が主導していました。
戦後の退廃の中で一種の虚無感を漂わす、彼らの雰囲気がやはり絵画の世界にも影響を及ぼしていました。その代表選手がビュッフェです。ビュッフェの、50年代の絵画のもつ雰囲気は実は時代の雰囲気なのです。ミッシェル・アンリによると当時は、皆あんな暗い絵(実存主義っぽい)を画いていたそうです。実際にミッシェル・アンリの絵画なども、当時の作品でビュッフェみたいなのが、あります。その中で、モーリス・ガルニエというやり手の画商と組んだビュッフェが一躍有名になりました。つまり、カシニョール カトランとは違ってビュッフェはフランスでも有名になったのです。
ミッシェル・アンリはビュッフェと同じアトリエの級長でしたし、絵画的にも卓越していましたから、当時の友人などビュッフェはミッシェル・アンリから絵画的影響を受けたという人もいます。ビュッフェは中退して、マチニョンの画廊モーリスガルニエの組んで一躍有名になりました。また、ミッシェル・アンリは若い時からマチニョンの一流画廊ロマネ画廊の所属となりました。ミッシェル・アンリは実存主義的な絵画にいち早く別れを告げて、輝く色彩の画家になっていきます。例えば、マチス、ボナールなどの洗練された明るい色彩とセザンヌの持つ造形的な厳しさをあわせ持つ画家です。
ミッシェル・アンリは有名になって、時代と関係なく明るい絵画、幸福な絵画を画き続けました。そのうち、社会もだんだん落ち着いて、ミッシェル・アンリの幸福感を分かち合う用意が出来てきました。つまり、時代がミッシェル・アンリに追いついてきたという事でしょう。ビュッフェは戦後が終わり、時代の雰囲気が変わっても、暗い、貧しい絵画を画き続けました。ヒット商品を生産し続けたわけです。その後、ロマネ画廊の店主が高齢で画廊を閉じたところに日本のギャラリー為永が出展して、日本のヒット商品を作っていきました。あれから40年近い年月がたち、為永と版画製作会社のヴィジョンヌーヴェルが売り出した日本向けのヒットアイテムの時代が21世紀になって急速に終わりつつあります。
私は40年程まえ、カミュやサルトルに衝撃を受けて以来ずっとフランスべったりです。フランス人に言わせるとお前は、ハーフだといいますが。精神的にという意味です。NHKアナウンサーだった磯村さんが、ミッシェル・アンリ友の会の会長なのですが、あの方も長くフランスで日本文化センターの館長をしていましたので、フランスの状況を結構把握しています。磯村さんいわく、1990年ぐらいから、フランスのみならずヨーロッパは大変な日本ブームです。
日本文化は、アニメ、映画、文学、陶芸、演劇、柔道、合気道、日本料理、なんでも感でも大人気だそうです。ただ、日本人の絵画は待ったく評価されないと嘆いていました。日本画はもとより、洋画もだめです。其れはそうでしょう。油絵はヨーロッパが本家本元ですし。絵画芸術の命はその前衛性にあります。つまり、つねに新しい絵画を発表しないといけないのがフランス画壇です。日本の画壇は100年前の焼き直しが殆どです。フランスがまた、21世紀に新しい独創的な作家を育ててくれると思います。弊社の契約作家でも、リュバロ、クチュールなど個性的な作品を作ってくれています。大いに楽しみ画家です。
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コメント (6)
konnichiha! shitumonngaarunodesuga,,doushite jituzonnshigiteki ninaruto kuraieninarunodesuka ?
コメントありがとうございます。
実存主義については以下の内容と捉えています。
ご参考になればと思います。
ドイツのハイデッガー、デンマークのキルケゴール、フランスのサルトルやカミュなどが有名な実存主義は戦後から1970年代まで流行した思想です。
実存主義の定義は、「存在は本質に先行する」です。善悪、理想、本質など様々な文化・文明が作り上げる人間や社会のイメージがあります。そういった文化・文明などが作りあげたイメージより、実際に存在して生きてる現実の方が真実だとの考え方です。ヨーロッパ中世においては、キリスト教が全てのベースでしたので、その思想と信仰をベースとて、勧善懲悪で主に精神面を中心に人間を判断しました。その後、宗教改革の後ルネッサンス(人文復興)があり、キリスト教以前のギリシャ・ローマ時代のもすこし、肉体をもった人間を、科学的に見つめて、認めていこうとの考え方が出てきました。その後、ドイツのカントなどが代表選手ですが、人間の理性(キリスト教の神ではなく)に絶対的な信頼を思想が出てきました。
19世紀になって、人間はあまり理性的な動物では無いと考える人達が出てきました。マルクスは、世の中は思想や理性で変化するのではなくて、生産力(つまり経済活動)が思想や考え方も決めていくと言い出しました。また、ニーチェは人間を理性的な存在としてでは無く、他の生物と同じ生命として位置付けました。またフロイドは生殖本能の様々なあらわれ方が人間の心理的モチベーションを決定すると言い出しました。つまり19世紀には、人間は神の子でも、理性的な存在でもなく、経済と生命活動と生殖活動が人間の重要なモチベーションと考えられるようになりました。それと同時に19世紀にマルクスが共産主義思想を唱え共産主義革命を主唱しました。さて20世紀にはいり、西洋は2度の大きな戦争を経験して、またロシアなど共産主義革命をして共産主義の国も誕生しました。その2度目の戦争の後ヨーロッパの知識人たちの間に、共産主義や社会主義と実存主義がはやりました。実存主義は生命活動としての人間の存在をそのまま認めようとの考え方ですから、19世紀のニーチェや、マルクス、フロイド等の思想の上に立っていて、思想としての新さはありません。戦後という暗い時代に出てきた思想ですので、時代の雰囲気を反映して暗いのではないでしょうか。それと人間を飾り気なく、生命活動、生殖活、経済活動といった側面からのみ見ると、あまり美しくも明るくもない人間像ができあがるのも無理はありません。
お返事ありがとうございます。
ということは、ビュッフェの絵が暗いのは、実存主義の影響だけじゃなくて、ニーチェや、マルクス、フロイドの影響が強いんですね。人間の存在をそのまま認めようとした考え方の実存主義は、どの画家も持っていて、その上でどう考えてどんなことに影響を受けているとか支持しているかが、画家の絵に関わってくるということですか?
また、現代の画家についてはどう思われますか?今の画家は実存主義的だと考えますか?また、ビュッフェの時のように、他にも影響を受けている思想などがあるのでしょうか?
私見ですが、いろいろ書かせていただきます。長文になることご容赦ください。
商売柄ビュッフェの絵はよく見りますが、ビュッフェの思想的背景については詳しくありません。ビュッフェは確かに戦後の実存主義が知識人の間で流行っていた時代に有名になり、時代が変わっても同じスタイルの絵画を描き続けました。
弊社の契約画家のミッシェル・アンリは国立パリ高等美術学校でビュッフェと同じクラスでした。ミッシェル・アンリはクラスの主席代表として、外国に留学したり、ビュッフェは学校を中退しました。ミッシェル・アンリが言うには、当時1950年代は皆ビュッフェのような、暗い絵画で戦争で傷ついた心が表現されるような絵画を描いていたそうです。ビュッフェは、モーリス・ガルニエという腕利きの画商と組んで、当時の世相に合った画風(実存主義的)で売り出し成功しました。ビュッフェがその画風があまり成功したので、商業的な理由もあり一生同じ画風で描き続けた事は有名な話です。
実存主義はそういった19世紀の思想家、ニーチェ、マルクス、フロイドの思想をベースにした思想だと思います。ビュッフェがそれらの著作を読んだかどうかは知りませんが、人間の存在をそのまま認めると言っても人間の存在がどんなものかは、文化は時代によって異なります。先日も説明しましたが、ニーチェなどは、生命体としての人間(イメージ的には躍動するエネルギーを肯定する)です。マルクスなどは生産力としての人間(労働力)としての人間が現実の人間であり、それは、人間本来の価値が疎外されていて、資本主義社会で労働力として、売買されているが、本来の人間はもっと全体的な存在だと言っていますが。具体的な人間のイメージには触れていません。フロイトは性的リビドー(生殖本能のエネルギー)という側面から人間を取れえています。ローレンスがチャタレー夫人の恋人という小説を書いています。チャタレー氏は名士で富豪ですが、車椅子の生活です。下半身付随ですので、いわゆるセックスはできません。チャタレイ夫人は、庭番のたくましい男と関係を持ち、充実した性生活を送ります。確か、この本の翻訳が不道徳だとか、描写がわいせつだとかで日本でもチャタレー夫人裁判がありました。18世紀以前とはキリスト教の中世ですと、チャタレー夫人は文句なく有罪です。不貞を犯した悪い人間です。けれども、19世紀以降の思想の流れから行くと、状況を考えれば、いたし方ないと考える人も多いかもしてません。人間は必ずしも理性的な存在ではないし、フロイド風に考えれば、リビドーのあらわれです。だからと言って、倫理や規律が無いわけでもありません。倫理や規律のベースになる、思想が変化しています。
実存主義は、思想としてまとまった成果は上げてないと思います。むしろ、雰囲気の流行だったと思います。もちろん、実存主義の思想家や、作家、画家などもいますが、実存主義的な雰囲気をかもしだしていた人達です。思想として明確な輪郭は持っていないと思います。もちろん私見ですが。
現代の画家で実存主義的な雰囲気を漂わせたり、実存主義を口にする画家に会った事はありません。
1980年を境に世相が大きく変わりました。1980年以降は、暗い人、雰囲気は忌嫌われるようになりました。1980年代には<ネクラ>という言葉がはやりました。<ネクラ>とは、雰囲気が暗い人です。その中には、実存主義も共産主義も社会主義も全部入ります。深刻に考える人は全て、<ネクラ>のカテゴリーに入ります。今日なおこの傾向は続いています。つまり、何かを深く考えたり、真剣に人は<ネクラ>です。タモリ、明石さんまなどの芸能人に代表される、軽いタッチの時代になりました。結局その頃から、日本人は考える事やめました。その弊害は、非常に深刻になっています。日本人の一億白痴と言われるようになりました。つまり、日本人が考える習慣をなくしたのです。そうすると、自分の利害とは、自己保全、地位、名誉など即物的な価値観しかなくなります。
今回の大地震の後の対応など見ても、日本人のエリート(知識人)がダメになった事を世界に印象付けました。庶民は昔からの価値観(勤勉 他人に迷惑をかけない 正直に生きるなど)を身についていて立派だとおもいます。
エリートを言われる人達は、自分たちは優秀で立派だと思っていますが、実は根本的な価値観が喪失している人が多いのかもしれません。一流大学を出るのはよい事ですが、それが自分の人生設計で有利になる為の手段だけであるのは一国のエリートとしては寂しいい限りです。折角優秀な能力を社会の為とか人類の普遍的な目的の為に使いたいと思えないのは日本の教育制度の欠陥なのか。80年代以降の<ネクラ>排除文化の軽薄主義の産物なのか解りませんが、立派なエリートを生み出す土壌が日本にも育って欲しいと思います。その為には、受験と就職の為の勉強だけでなく、やはり考え方の基本になるような本も読んで欲しいとおもいます。
実存主義自体が立派とは思いませんが、人間の本来のあり方とか、社会とのかかわり合いとかをそれなりに真剣に考えていた時代の象徴ではります。
今の日本人も、お金や地位だけでない価値観を持てるほど立派であって欲しいとおもいます。
こんにちは。お返事ありがとうございます。本当にそう思います。。自分自身の考え方、価値観を持つってすごく大事ですね。私も、自分の考えって言うのを持てなくて、大多数の人が考えていることが、私の考えだ。みたいになってしまうところがあって、まだまだです。ネクラ、という言葉が大多数の人によって嫌われてるから、そうなんだ、じゃなくて、ネクラという言葉をよく見てみて、それは日本人が考えることをなくしてしまう言葉だったんだ。と解釈できる。そういう風に考えられる人間になりたいです。それに、そういう風に考えると、日本のことがまたちょっと違う視点で見れるようになりますね。
私も、日本のテレビ番組が好きじゃなくて、でも、なんで好きじゃないのかって考えていたら、そういう風に考えられていたかもしれません。
他にも人に役に立つと言われてやってみて役に立ったためしがない!とか、思ってたんです。だけど、そうじゃなくて、役にたつか立たないかは自分で判断したり探すもので、役に立つとかたたないとかは人それぞれですね。
受験のために勉強するとか、就職のために勉強するとかも、そんな感じがします。
何かのために。。ってなんか違うな。。と、、就職するにはコミュニケーション能力が求められている。から、、、する。も、なんか違うな。。と、何が違うのか分からないけれど、、、それが求められているのはそれは本当なんだろうけれど、この、何か違う。。と思うのは何なんだろう?と、、どこか拒否反応がでるんです。。。
どうも、自分の考えをもてないと、一人で自立できなくて、人のせいにしちゃったりして、、いけません。
自分の価値観を持つってどういうことだろう?と分からなくて、倫理というのを調べてみて、この、実存主義に行き当たりました。しかし根本的な価値観とはどう生み出されていくものなのでしょう??
自分のまわりの方に親切にして、自分のまわりの人に喜びを与えるように心掛けるといいと思います。
仕事場では、会社の利益になるように、上司、同僚、部下に喜んでもらえるようにできるだけつとめるといいと思います。もちろん、その会社が反社会的な事をする会社でしたら辞めた方が良いとおもいますが。
嫌な事に出会っても、それを勇気をもって乗り越えるように、努力するといいと思います。もちろん、殴られるとか、お金や物を取られるとか極端ないじめに会うとかの場合は警察なり対応してもらわないといけません。
嫌いな人も受け入れ、その人にも優しい心になれるように心かけるといいと思います。
毎日の生活で起こる嫌な事、悪い事を人のせいにしないで、自分にも非が無いか反省するといいと思います。又毎日の生活で良いことがあったら、一日無事に過ごせたら、周りの人に感謝するといいと思います。
カンシーが自分の小さな罪を像のように巨大に感じ、他人の像の様な大きな罪を蟻に小さく感じる習慣をつけるといいと言っています。
他人に寛大で自分をある程度律っして生活すると、周りの人に喜ばれると思います。
今私が書いた事を実行しようとするとかなり大変ですよ。難しいです。でも、試してみる価値はあると思います。100%できなくても、5%から初めて1年後に10%できるようになれば、素晴らしいと思います。
直接的な応えにはなりませんが、参考までに。