ミッシェル・アンリ来日歓迎パーティー2001年11月

1999年、グルドー・モンターニュ氏が駐日フランス大使に着任した。グルドー・モンターニュ氏はフランスのエリート養成機関のエコール・ポリテック出身だ。外務省では、当時の外務大臣ド・ビルパン(現首相)と双子(精神的な意味で)兄弟といわれる外務省のエリートだ。当時50歳ぐらいだが、フランス国外の勤務は始めてだ。つまり一度も本省からでてない。外務省内のトラブルに巻き込まれそのほとぼりを冷ますため、シラク大統領が日本大使を命じたとの噂だ。フランス外務省の序列から行くと、外務省の全くのエリートは本省から出ない。大使でNo.1はワシントン、No.2は東京、No.3がロンドンだ。ただ、これは20世紀最後の頃の秩序で、最近の日本の国際的地位低下を受けて、駐日大使の位置は低下していることだろう。

ミッシェル・アンリは画家であると同時に文化使節としてかなり国に貢献している。学生時代にすでに、国立パリ高等美術学校として、外務省からベルリンに派遣された。プロの画家になってからはサローン・ドートンヌの委員として度々海外に派遣された。また、シラク大統領がパリ市長の時代に、当時の農林大臣でフランス国立園芸協会会長のミッシェル・コワンタ氏に頼まれ、フランス国立園芸協会絵画部門の会長に就任した。同協会の絵画部門を一流のサロンに育てて、現在はその名誉会長を務めている。さまざまなご縁から、シラク大統領夫妻とは親友だ。例えば、1987年にはシラク夫人が故郷のセディエール城でミッシェル・アンリ氏の回顧展を開催した。1998年のヴァル城の展示会はフランス共和国大統領ジャック・シラク氏の特別後援で開催された。ミッシェル・アンリ氏が会長を務める、フランス国立園芸協会絵画部門の展示会はシラク氏が市長を務めるパリ市長舎で行なわれていた。また、ミッシェル・アンリ氏は若い時から、パリの高級画廊街マチニョン通<エリゼ宮:大統領官邸のすぐそば>画廊の画家だから、シラク氏が大統領になってからも、ミッシェル・アンリの展示会があると、シラク夫人は歩いて展示会に来ていた。シラク大統領の腹心の駐日フランス大使グルドー・モンターニュ氏も2000年のミッシェル・アンリの来日絵画展に来場された。フランス画壇の宝といわれる、ミッシェル・アンリ氏の展示会が日本でそれ程認知去れていないので驚いたようだ。2001年のミッシェル・アンリ氏の来日時に、フランスが誇る画壇の巨匠ミッシェル・アンリをバック・アップする為に大使公邸でフランス共和国の公式行事として開催した。

招待者の選定は当社に任されたが、歓迎会(カクテルパーティー)は当然フランス共和国の正式行事として、大使主催で行なわれた。主賓は森善朗元首相。1996年に大森のアナトリアアムで日仏作家100人展が開催され、その時の日本代表が森氏。その前年位までは通産大臣を務めていたが、ちょうどこの頃は大臣では無く比較的暇な時期だったのだろう。フランス側の代表は当然ミッシェル・アンリ氏。その時のご縁で、森氏が総裁を務めた神戸の花博にも、フランス国立園芸協会を代表して参加した。その他では兵庫県の奥谷衆議院議員、デヴィ・スカルノ元インドネシア大統領夫人、小笠原英次神戸日仏協会会長が貝原兵庫県知事の代理で出席した。その他は当社でお呼びした百貨店関係者や画商だった。

森元首相の秘書の方から会の途中まで、こちらに向かっているとの連絡が入り続け、もう閉会30分前ぐらいに、如何しても時間までにたどり付けないとの連絡が入った。駐車場確保のため、前もって大使館に届けた車種はセンチュリーだった。ちなみにデヴィ・スカルノ夫人はベンツだった。

デヴィ夫人は少し遅れてきたが、あの存在感は素晴らしいものが有った。アナウンスも音楽も何もないのに、誰もが彼女の来場に気が付き道を空けた。その場が一瞬に華やかになり圧巻だった。デヴィ夫人は日本では、テレビ番組で一寸変わった事を言うおばさんぐらいに思われているが、フランスの社交界ではスターだった。スカルノ元大統領夫人だから、いわゆる上流階級のお金持ち。フランス語も英語も流暢に話しパリの社交界では一目置かれていた。デヴィ夫人はさすがに気が利いていて、秋川という30歳台の自分が育てているオペラ歌手を連れてきた。秋川さんは、オペラ歌手のわりには皆が知っている<サンタルチア><カエレソレント>などのカンツォーネを伴奏なしで歌ってくれた。伴奏が無くても、音ははずす事も無く、力強く歌い上げた。パーティーに来ていた在仏30年のピアニストの女性がその音程の確かさは太鼓判を押していた。ちなみに、秋川さんは2006年の紅白歌合戦にオペラ歌手なのに出場して、「千の風になって」を歌ってブレイクし、いきなりスターになった。デヴィ夫人とミッシェル・アンリ氏は写真のモデルとして大忙だった。2人とも良くこれだけと思うほど、皆さんの要望に応えて写真を撮っていた。

フランスのパーティーはあっさりしてる。まず主催者の大使が歓迎の挨拶をし、その挨拶の中でミッシェル・アンリを紹介する。次いでミッシェル・アンリがお礼の挨拶を述べて、後は皆で勝手に飲んで食べてしゃべる。長時間、何人もの挨拶を聞く煩わしさは有ない。当然司会なども必要無く、主催者の大使が時間になったら始めて、適当な時にさようならの挨拶をして終わりだ。ところが、今回は変な日本人(私)が、招待客の選定から、パーティーの運営まで、企画したものだから、一寸戸惑ったようだ。まず、お世話に成っている兵庫県の貝原知事や百貨店のお偉方にゴマをすりたくて、そういう人たちの挨拶やメッセージの紹介などたっぷりいれて、招待者をうんざりさせてやろうとしていた。大使がそれらは全部ストップしてしまい、大使もシラク大統領も仲良しで直接、商売の匂いのしない貝原俊民兵庫県知事のメッセージの紹介と奥谷通 衆議院議員の挨拶だけは許してくれました。本当は森前首相に挨拶していただく予定だったが、残念ながら来なかった。その為、司会も必要となり、私も司会兼通訳として引っ張り出される羽目になり、忙しい思いをした。

パーティーが終わって、近くのプリンスホテルで地方から来てくれた人達と食事会をした。20人程いたが、ほぼ全員男で百貨店の重役やら、地方の町長やら、偉い方ばかりで、果たしてどんな気遣わしい夕食会に成るのかと、案じていたがここでもデヴィ夫人に救われた。彼女ともう1人在仏30年の60歳のピアニストと神戸の空手の先生の奥さんが女性で他は男ばかり。デヴィ夫人はテレビ、マスコミの裏話から、彼女が支援しているオペラや人道的活動・文化活動の話など、1人でしゃべり、ミッシェル・アンリ氏と掛け合いをし、通訳の女性を罵り、世界平和のために正論を述べ、母乳が半分ぐらい露出したドレスで皆を楽しませてくれた。母乳の露出を殊更強調したドレスについて、もう少し説明を加えておこう。ドレスは、頭からすっぽりかぶるようになっていて、首の所がゴムに成っている。二の腕あたりで止まるようになっているが、時間がたつと段々せり上がって来る。ほうっておくと、肩まですっかり隠れてしまう。彼女はそれが、上がってくると、両手で一気に息を飲むほどそれをずりさげ、露出度を高めてくれる。その瞬間、ふーというため息を幾つか聞いた気がする。空耳か、それとも私のため息だったのか。何しろ、露出しているオブジェ自体も巨大なのだ。その瞬間全部の男の眼が1点に集まったように感じた。

デヴィ夫人は、誰憚る事無く言いたい事を言いうから、喧嘩に成らないのが不思議だと思う。ミッシェル・アンリ氏によると、アメリカでも武勇伝があって、喧嘩した金髪女の髪の毛を掴んで引きずり回し、警察沙汰になり豚箱に一晩お世話に成ったそうだ。男は好きなのだろう。男には余り噛み付かないが女性は容赦なしだ。私は幸い、フランス仕込みで女性にお世辞をいうのはお手の物なので、すっかり気に入ってくれて、<画商で武田さんみたいにフランス語が出来る人は始めてお会いしますわ。長谷川さん(日動画廊の)だって、フランス語は出来ませんもの>といってくれて、大いに面目を施した。<武田さんて、本当にフランス人みたい。お世辞なんてどうせ只だから、幾らでも言ってやれと思っているんだわ。面白い日本人がいたもんだわ>といった感想ものべていましたが、これは褒められたのかけなされたのか判断が分かれる所だ。ただ、私も、我儘で繊細な所があって、誰にでも、お世辞が上手い訳でもない。私の場合はある程度、自分が気に入った人にでないとお世辞もいえない。だから、私の場合は、お世辞というよりむしろ、その人に対する、賛辞、好意、感謝の表現といった方が良いかもしれない。勿論、賛辞だから、事実より多少、大分、大幅に、誇張して言う場合もあるが、其処にある私の好意と誠意または感謝の気持ちは何時も本物なのだ。感謝の念が大きいほど、お世辞も大サービスになる。フランス人も余り金が無いから、せめてリップサービスしているのかも知れない。つまり、デヴィ夫人のご親切に対する、お礼がお世辞になったのだろう。何しろ、これだけの役者が只でパーティーに来てくれ、食事会も盛り上げてくれた。私としては本当に有りがたい存在だった。ついでに、彼女を弁護する為に言えば、彼女がテレビでまともな事を言えば全てカットされ、くだらない部分だけ放映されると憤慨していた。たぶん、本当だろう。彼女の発言は正しい場合が多い。つまり、あまり正しすぎる発言は、正しくない事が多い日常を送っている私たちの反感を買う事も多いという事だろう。

当社がミッシェル・アンリと独占契約をしてから、10数年になるが、それ以前は関西ではマルク・エステルというフランス人画商でコートダジュールのホテルの息子が20年以上前から大丸で売っていた。マルク・エステルは画商としては優秀で1995年ぐらいまで、フランスの画家を日本で大丸を中心にして売って大活躍したが、自分で描いて売った方がもっと儲かると思い画家に転身した。天は二物を与えず。画家としては失敗し今は殆ど名前も聞かない。関東ではYさんという女性が個人的にミッシェル・アンリ氏の絵画を売っていた。Yさんはミッシェル・アンリ氏によると、森ビルの森泰三氏(バブルの頃一度世界一の金持ちに成ったことも有ります)と極めて仲のいい女性だそうだ。そういえば、森ビル系の全日空ビルや軽井沢の森ビル系列のホテルにミッシェル・アンリ氏の絵画が飾られてる。さて、一連のミッシェル・アンリ氏の日本での友人の中に0さんという女性がいる。前述のYさんとも友達で帝国ホテルに関係が有るそうだ。そういえば聞いたことのある苗字だ。その、夫人がいきなり当社に来られて、ミッシェル・アンリ氏の仕事にデヴィ夫人をからめないほうが良いと忠告をしてくれた。彼女は、悪い人では無いけれど、ミッシェル・アンリ氏のイメージアップになるとは限らないからと心配してくれた。Oさんもデヴィ夫人の事は良くご存知のようだった。確かに、マスコミが伝えるデヴィ夫人の日本でのイメージは、あまり上品ではないし、色んなところで嵐を起しているらしい。殊更Oさんの忠告に従った訳でもないが、その後、デヴィ夫人にご登場願う機会は無い。

グルドー・モンターニュ駐日大使は翌2002年9月に本国に呼び戻され、シラク大統領の外交顧問に就任した。シラク大統領が外国に赴く時は必ず直ぐ隣にいる。私などもテレビのニュースでシラク大統領がでると、そばにグルドー・モンターニュ氏の姿を探す。やはり、何時もいる。大使館のパーティーの企画運営で私のやり方とかなりずれがあり、秘書官を通じて幾度も意見調整をしたので、実際パーティーで顔を合わせた時は<貴方が武田さんですか>とにっこり笑って私の労をねぎらってくれた。2002年の11月には、ミッシェル・アンリギャラリーがある、北海道の雄武町にもミッシェル・アンリ氏と一緒に行ってくれる事になっていた。ところが、突如9月にシラク大統領に召還されてしまいました。替わりに、奥さんが日本人で日本語がぺらぺらのフィエスキー1等書記官が行ってくれた。グルドー・モンターニュ氏と双子の兄弟といわれる、ドビルパン前首相は性格が激しく戦闘的で、グルドー・モンターニュ氏は参謀タイプで内省的な静かな方だ。双子の兄弟でも光と影といわれるゆえんだろう。シラク大統領も6カ国語を話し、広い教養のある人のようだが、グルドー・モンターニュ氏もヒンズー語まで入れて6国語を話す。日本滞在の終わり頃は日本語もかなり達者になっていたそうだ。シラク大統領の側近中で、ド・ビルパン前首相は唯一シラク氏と対等に文学論を戦わせる事が出来る文学通といった話を聞いた事がある。つまり二人とも、それ程文学にも造詣が深いのだろう。フランスのエリート層の教養の広さにはいつも驚かされる。1970年代の後半に、当時大統領だった、ジスカール・デスタン氏がテレビでモーパッサンについての研究論文を発表した。まだ、大学生に成り立ての私は、内容は半分ぐらいしか理解できなかったが、カルチャーショックだった。日本の田中角栄が夏目漱石の研究発表をNHKでする姿は想像できない。私は、シラク氏が日本に来た時とジスカール・デスタン氏が日本に来た時1度ずつ朝食会に出た事がある。シラク氏はエリートのわりには、生真面目で庶民的な所があるが、ジスカール・デスタン氏は茶目っ気たっぷりの気取り屋で、お坊ちゃん気質が前面にでた人だった。

グルドー・モンターニュ氏も、幅広い教養のある典型的なフランスのエリートだった。

グルドー・モンターニュ大使とマダム デヴィ・スカルノお世話になりました。ありがとう。


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